さこうのはてなブログ

大阪で働くバーテンダーの私小説的な文芸ブログ

ぼくたちは天使だった

https://www.shonenjump.com/j/2024/03/08/240308_oshirase.html

とりやまあきら氏の訃報に落ち込む。

もはや誰がやってるのか分からないThreadsだけど続けている。Xにもインスタにもないチーム鳥山のアカウントがあるからだ。

中二病。人より早期に罹患して人より長く続いたと思うが罹るも罹らないも短いも長いも人それぞれ。ぼくは漫画を読まない、ゲームも辞めた。きっかけは古本屋で捨てられるように売られていた100円の夏目漱石「こころ」だ。
とにかく漫画は高く感じた。30分で一冊読んでしまってはすぐにお金が尽きるのでたまには読むのに時間のかかる小説を読もうと思った。小学生の頃は日雇い労働センター、中学生の頃は新聞配達で小遣い稼いでた自分の節約術だ。

気付けば「小説を読んでいるおれすごい」から「小説も読まない動物園みたいな学校の連中にどうしても馴染めないおれ」な思春期を過ごしていた。初恋をすればゲーテ「若きウェルテルの悩み」みたく泥沼のどメンヘラになれると思っていたし、実際なった。恋を諦める度にゲーテみたいだ!と泣く自分にうっとりしたものである。

ぼくが中二病だったといってもそれはハシカと一緒。大人になってから煩うよりずっとマシ。ドラゴンボール含むその他漫画全てブックオフに売っぱらった。バンドスコアと映画のパンフ、小説しかない自分の本棚がかっこよかった。

ドラゴンボールなんて子供の読み物!それでも筆箱の中からファミコン、風呂ん中までとりやまあきら氏のイラストはどこにでもあってかっこよかった。

教室で回ってくるジャンプを興味ないふりして読んだ。あの頃ぼくたちは天使だった。


自分語りなしで文章を書くのは難しい。
青年期を過ぎて中年になると語りたいことなど自分の傷の在処以外にない。その辺は「こころ」の先生と変わらない。


誠実さ、時間、お金、それと少しの見返り…見返りといってもありがとうの一言でいい、してよかったと思える程度の反響。これら四つをブレンドしたものをまずは愛と呼ぶことにしよう。こんな簡単なものを愛だと言えるようになるまで38年かかった。阿呆である。
姉の死、それさえなければもっと素朴で破綻なく愛ある男として生きてこられただろうか。もう20年以上経った。然し当時味わった地獄の悲しみはない。

中年になって離婚し、持ちたかったバーを持ち、人間関係も整理つけて平穏で最高な日々を過ごしている。


クロノトリガー予約特典のカード
風邪ひいて寝込んでたぼくに
母が渡してくれた
きらきらなカード
どんなだったかはもう思い出せないけど
時間なんて過ぎてない
思い出はきらきらしたままそこにとどまって
ぼくたちだけが過ぎていく

1/20

Kさんにお願いし商品撮影。知人のバーテンダーSさんがいくつか思惑があってうちでモーニングをしたいとのことで看板作成の準備を進める。冷蔵庫、オーブン、食器等買い揃えた。

Sさんがここで働いたとして報酬というか分け前をどう決めればいいのか分からない。商売だから利がないなら話にならないのだろうが初期投資分くらい戻ってこればいいかなと思う。Sさんもその手の話は苦手らしく報酬について要望あれば言って欲しいと伝えるもはっきりとした答えがない。

1/28
布施にかん八という串焼き屋さんがある。営んでいるご夫婦2人の結婚パーティにいった。連日仕事終わりに飲み明かしていて二日酔い、いや三日酔い、睡眠時間わずか数時間で臨んだのもあって酔い潰れた。無礼もいいところで合わす顔がない。

今年は飲んで記憶を飛ばすのは3回までと決めていたのにもう2回やらかしている。阿呆である。

2/4
お客様というかもはや友人たち家族とドライブ。3歳のお子様たち2人とも妖怪が好きだということで福崎町へいった。知らなかったが妖怪ベンチ等の町興しがあるらしい。子供たちが喜んでくれたらそれでいいかと思っていたが意外やぼくもかなり楽しかった。もっと意外だったのは警察に止められ切符を切られた。もうかなり以前から子供は1/2人ではなく2/3人扱いらしい。5人乗りの車に5人と1/3超過と書かれた。阿保である。

2/20
酒を飾る棚を追加する工事実施。請求額を見てとりあえずもうしばらく出費はないよな、一段落ついたよな、とハラハラする。

3/10
ここ最近冬期うつがひどく悪い夢みて叫んで目覚める日が多かった。2006年冬のアイスランド滞在期間で得た奇癖が定着してから毎年こうなる。自分の性質だから受け入れているしあまり気付かれないように振る舞っているつもりだったが無理に取り繕っていると気付いた人がいた。
休みの日に昼から空けておいて、なにか元気出ることしようと言ってくれた。で、インテックスで開催しているキャンピングカーショーに連れて行ってもらった。
以前"子供の頃キャンピングカーに憧れていた"と言ってたのを覚えていてくれたらしい。嬉しかったが出発時間に3時間遅刻されたあげく一言も謝ってくれず複雑な想いをした。そして怒りもせず勘弁してくれよとも言えないぼくがいる。

様々な人がいる。色々な人と交差する。立ち飲み屋や激安チェーン店で飲むなという意味でぼくには到底買えない額の財布をプレゼントしてくれる人もいれば、自分の不動産や資産額をぼくに見せつけぼくを虫けらのように踏み潰す気の人もいる。

人生を語る人、仕事を語る人がいる。人恋しくて夜の街をさまようだけの人もいる。それはぼくだ、いつかのバーテンダーだ。

詩は働く者のために

「ネジが地面に落ちた/この残業の夜に」

https://bunshun.jp/articles/-/66497?page=2

 

政治家がどうなろうが知ったことじゃない。
新興宗教がどうなろうが知ったことじゃない。
ジャニーズがどうなろうが、吉本がどうなろうが、自分にとってはどうでもいい。

ただ書こう、ネジのために。

 


去年10月カラオケバーを閉業した。

最終営業日の翌日は疲れ切っていて夕方にはベッドにはいっていた。目を閉じると幻聴が聞こえた。疲れているときは特に強く幻聴が聞こえる。
眠りに落ちるまでじっと待っているとこの世から旅立ってしまった老猫ビビが浮かんだ。そしてビビのことが胸を離れないまま彼の夢をみた。ビビ。元嫁が名付けた雄猫。
夢のなかではふさふさな毛並みだった頃のビビが浜辺の柔らかな砂のうえで朝日を浴びその毛をなびかせていた。
深夜2:00頃目覚めてほろほろ泣いた。元嫁に頼み込んで引き取った大事な猫だった。どうにか長生きさせてあげたかったがぼくにはできなかった。さびしかった。くやしかった。自分の店を閉じたことに想いを馳せる暇もなくただただ心細かった。

ビビが去って猫はアル、ルナの2匹になった。この2匹は兄妹だ。まだまだ若く元気なはず…だがどうもその兄のアルの調子がおかしい。店の退去作業に向かいたかったがとんでもなく嫌な予感がしたので病院へ連れて行った。
レントゲンの結果異物を食べて胃と腸に詰まっていることが分かった。開腹手術になる。一週間は入院するだろう、費用は30万を超すだろうとのこと。きっとビビが亡くなったストレス、ぼくが家にいないストレスがたまったのだろう。
ぼくのせいだと思ったが今は悔やんでる暇がない。それがたとえ100万と言われても手術しないなんて選択肢はない。

とりあえずお金を、どうにか手術代を捻出せねば。

 

2023/11/12
で、バイトの面接に行った。新店のオープン日が控えているから早朝から昼過ぎで終わる珈琲屋を選んだ。
全てはアルの入院費のためだがただで転ぶわけにはいかない。流行店のレシピを手に入れ我がの店でやるだろうカフェ営業に技術やノウハウをも活かそう、そういう魂胆があった。ミッションインポッシブル。
ピンチをチャンスにせねば。

面接後帰宅するとすぐ電話がかかってきていつから来れるのかという話になった。受かったらしい。その後すぐレシピを全て送信してくれた。そんなのでいいのか?

簡単にミッションインポッシぶってしまった。

 

深夜に焼肉を食べた

友が鉄板のうえに肉を並べていく

一枚ずつ焼いて食べたがってた元嫁が頭に浮かんだ

いつもそうだ

ぼくは残像しか愛せない

 


2024/01/8
カラオケバーの売上げ、新店舗での売上げ、受けた融資の総額、バイト代、その他副収入を計算すると金銭的な壁はなんとか乗り越えているようだった。猫のためとイベントをうったときに来てくれた方々、寄付頂いた方々に深く感謝する。その後アルの調子は良好、今は毛並みもふさふさで毎日快適そうに過ごしている。


大事も過ぎればなにも眠る時間を削ってまでバイトしなくてもよかったなと思うが身体を忙しくしなければネガティブになっていたしともあれこれでよかったのだ、とまた思い直すことにしてバイト先に辞めたい旨伝えた。意外やあっさり承諾してくれた。もう来なくても問題ないとのこと。
開放的になって軽く飲んだあとは一日中眠った。泥のように眠った。

 

2024/01/11
今宮の十日戎が4年ぶりに屋台が出たらしいので行きたいと思っていた。水商売の人間は残り福がいいとのことで最終日に行く予定だったがこの日忙しく時間通りに閉店できなかった。営業後にダメ元で行ってみたもののやはり全ての屋台営業が終わっていた。お参りもできなかった。ただこの日の売上はご新規様だけでかなりあがっており、商売の神様に会いにいく必要はない、神様からうちに来てくれたのだと思うことにした。


2024/01/16
いつもポメラを開いてなにか書きはじめたら誰かが来店してくれていた。いつもこんな感じだったら良いと思っていたが今日は少し寒すぎたようだ。馴染みの方が帰ったあとは綺麗さっぱり誰も来なかった。


そろそろこのエントリーもおしまいにして店を片付けて帰ろう。

 

では

 

バーテンダー再び

ぼくは書かなくなった。
ある日書くこと自体がぼくの弱点だと気付いたのだ。

書くことで自分を傷つけていたと思う。

10年前とあるブロガーに影響を受けて書くようになった。情緒不安定な文章を後先考えずリアル世界にいる知人にも見えるようネットに流した。それはたくさんの人に読まれることである程度満たされた。ただ今度は読まれすぎてむしろ嫌になった。

SEO対策一切なし、ブログ名を検索しても出てこない私小説的文芸ブログに3万PV以上ついたら誰だって思い上がる。一銭にもなっちゃいないのに思い上がってぼくは失敗した。

"読まれたくないから書かない"が書けない理由へと変わった。中年になった今またもう一度承認欲求を燃やそうとしても今度は書くことがない。

読むこともなくなった。読まない人間、書かない人間に価値などない。

ぼくはいつしか人生をもて余して生きるようになっていた。

同じ話を何回も言う男になっていた。

太陽が毎日沈んでいく。

いつも誰かが沈むのだ。

いつかはぼくが沈む。

ぼくは自分の人生に秋を感じながらいつしか最期の日を待ちわびるようになっていた。

飛田新地の駅跡にある草むらから高速道路を見上げていたあの頃のように。


ぼくはバーテンダーである自分が大事だ。バーテンダーをしているときは自分を生きている気がする。

バーテンダーに憧れぼくは技術の高いバーで修行した。でも結局コンペに出るようなバーテンダーにはなれなかった。無限に思えるほど大量の洗い物、何度やっても終わらないトイレ掃除の日々。

仕事終わりにウィスキーのテイスティングといくつかカクテルを練習するだけでそれ以上は習得しなかった。

一流のバーにいた、というキャリアを盾に自分を守ることしかしなかった。

開業したモルトバーは開業前から噂のあったコロナ禍に飲まれ一年ももたなかった。カラオケバーはなんとかやっていけるまでになったが心では敗北を感じていた。

仕事で失敗し、酒で失敗し、人間関係、女性関係、夫婦生活も失敗し、そして文章でも失敗だ。

これ以上自分で弱点を増やすようなことを周知して回ることに果たして何の意味があるのだろう。誰かが失敗するのをじっと待っている人ばかりのインターネットでぼくは何がしたいのだろう。

人生の失敗とはっきり自覚しなければ再出発にならない、そんなくだらない宣言をわざわざここへ書き記して新たな人生がはじまるというのだろうか。

 

数ヶ月前に離婚してぼくは糸の切れた凧同然になった。もうそれでいい。ぼくは給付金を後生大事に抱いて細々生きていくのはまっぴらごめんだと思うようになった。会社員に片足突っ込んでいたがそれも馬鹿らしくなって引っ越しを機にきっぱり辞めた。

もう一度ナルシシズムに溺れなければ今以上にはなれないと思う。

 

人生の整理と新店舗に貯金全額使ってさらに借金まで作った。知人にお金を貸してくれと言葉にした瞬間に信頼関係が失われていったがもう後戻りはできない。

失敗したらどうしようかなんて今は考えない。

高級ロードバイクやギターじゃなくて4メートルの一枚板を選んだ。ぼくは大阪のバーテンダーだ。

嘘つきか不誠実であふれるこの街に骨を沈める気で酒を売って生きていく愚か者、それがぼくだ。

バーテンダーだ。