ぼくは書かなくなった。
ある日書くこと自体がぼくの弱点だと気付いたのだ。
書くことで自分を傷つけていたと思う。
10年前とあるブロガーに影響を受けて書くようになった。情緒不安定な文章を後先考えずリアル世界にいる知人にも見えるようネットに流した。それはたくさんの人に読まれることである程度満たされた。ただ今度は読まれすぎてむしろ嫌になった。
SEO対策一切なし、ブログ名を検索しても出てこない私小説的文芸ブログに3万PV以上ついたら誰だって思い上がる。一銭にもなっちゃいないのに思い上がってぼくは失敗した。
"読まれたくないから書かない"が書けない理由へと変わった。中年になった今またもう一度承認欲求を燃やそうとしても今度は書くことがない。
読むこともなくなった。読まない人間、書かない人間に価値などない。
ぼくはいつしか人生をもて余して生きるようになっていた。
同じ話を何回も言う男になっていた。
○
太陽が毎日沈んでいく。
いつも誰かが沈むのだ。
いつかはぼくが沈む。
ぼくは自分の人生に秋を感じながらいつしか最期の日を待ちわびるようになっていた。
飛田新地の駅跡にある草むらから高速道路を見上げていたあの頃のように。
○
ぼくはバーテンダーである自分が大事だ。バーテンダーをしているときは自分を生きている気がする。
バーテンダーに憧れぼくは技術の高いバーで修行した。でも結局コンペに出るようなバーテンダーにはなれなかった。無限に思えるほど大量の洗い物、何度やっても終わらないトイレ掃除の日々。
仕事終わりにウィスキーのテイスティングといくつかカクテルを練習するだけでそれ以上は習得しなかった。
一流のバーにいた、というキャリアを盾に自分を守ることしかしなかった。
開業したモルトバーは開業前から噂のあったコロナ禍に飲まれ一年ももたなかった。カラオケバーはなんとかやっていけるまでになったが心では敗北を感じていた。
仕事で失敗し、酒で失敗し、人間関係、女性関係、夫婦生活も失敗し、そして文章でも失敗だ。
これ以上自分で弱点を増やすようなことを周知して回ることに果たして何の意味があるのだろう。誰かが失敗するのをじっと待っている人ばかりのインターネットでぼくは何がしたいのだろう。
人生の失敗とはっきり自覚しなければ再出発にならない、そんなくだらない宣言をわざわざここへ書き記して新たな人生がはじまるというのだろうか。
数ヶ月前に離婚してぼくは糸の切れた凧同然になった。もうそれでいい。ぼくは給付金を後生大事に抱いて細々生きていくのはまっぴらごめんだと思うようになった。会社員に片足突っ込んでいたがそれも馬鹿らしくなって引っ越しを機にきっぱり辞めた。
もう一度ナルシシズムに溺れなければ今以上にはなれないと思う。
人生の整理と新店舗に貯金全額使ってさらに借金まで作った。知人にお金を貸してくれと言葉にした瞬間に信頼関係が失われていったがもう後戻りはできない。
失敗したらどうしようかなんて今は考えない。
高級ロードバイクやギターじゃなくて4メートルの一枚板を選んだ。ぼくは大阪のバーテンダーだ。
嘘つきか不誠実であふれるこの街に骨を沈める気で酒を売って生きていく愚か者、それがぼくだ。
バーテンダーだ。