【改訂】遺書_2.blog
遺書をこれまで二度三度書いた。
僕が死んだ後の処理方法
https://sakou429.blogspot.com/2015/03/blog-post_30.html
あれから8年、時が経ってぼくは離婚し、いろんな人たちが一人、また一人ずつこの人生の扉から出て行った。別れの言葉をぼくは聞いていない。
─ただ、こう書けば淋しい気もするが入れ替わるようにこの人生にやってきてくれた人たちがいる。
彼らと酒で喉を潤しながら話しているときは心穏やかでぼくはぼく自身の人生をようやく手に入れた、そんな気がする。つい数年前まで人生の秋を感じていたのは事実だ。実際そういうブログも書いた。感覚的にはもはや老後だった。やりたいこともなく、だらっとした終わらないあとがきのような生活を過ごしていた。いつ死んでもよかった。でも死ぬとき後悔するとすればいったいそれは何だろうと考えたとき、一枚板のバーをやらなかった自分はきっと後悔するだろう、そう思った。
幅4メートル、厚み6.7cmのモンキーポッドを搬入した経験はきっと生涯忘れない。相当な金額を突っ込んで借金もできたが後悔をひとつ潰せたのはこの人生において意義があるように思える。
あと後悔があるとすれば─ぼくは黒ギャル白ギャル達とクラブでダンスしたあと明け方ばかでかいベッドで笑いながら乱交する経験をもたないまま39歳になった。これはきっと悔いが残る。
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先日、二日酔いのベッドでツイッターを眺めていたらTHE BLUE HEARTS / TOO MUCH PAINのライブ動画が流れてきた。小学生、中学生の頃によく聴いていたことを思い出して、歌詞を読んでみたら当時と相当違う印象を持った。
これは自分は希望を持って人生の駒を進めるけれどそこには過去へ置いていく人がいること、美しさのほか戸惑いや後悔があることを歌っているのだろう。役所広司主演PERFECT DAYSのラストで覚える複雑な感情に至った。
ちなみにPERFECT DAYSは主人公の実家が超ずぶとい描写があるせいでちょっと残念だ。あの描写のせいで何をしていようがどこまでも「子供のわがまま」の範囲内の生活になってしまう。
で、40代で生きているとはどういうことなのか答えを出せないはてなのマスダ文に興味が惹かれた。ブクマしてないので該当のブログがどんなだったか忘れてしまったが、はてなブログには似たようなエントリーばかり。40代を迎えて今更人生が何か分からなくなった記事ばかり目にはいる。
というのは先日お店で40歳前後に人は狂うという話をしたから。
Bさん曰く、40歳というのは人生上手くいっていたら傲慢になり、上手くいってなければこんなはずじゃなかったのだと苦しむものらしい。歳なりに生きて歳なりの人格を得ておかないとツケを払うときがくるということだろう。
昨年末、高校の同級生数人で集まった。高校生のアイデンティティを悪い意味で手放してない人がいてどうも居心地が悪かった。
また別の日、保育園、小学校が一緒だった友達がやってきた。そして同級生の誰それの陰口をはじめてやはり居心地が悪かった。人と関わり続けたぼくにとってたまたま同じ教育環境にいた古い人間のことなんてどうでもいい。どうでもいいじゃないか、そんな人たちはどうでも。
変わらない人間は死ぬまで変わらない。
あいつのことなんてどうでもいいじゃん。店閉めるからどっかでおれと飲もう。もう一杯飲もうか、次の店に行こうか、いい時間だ、このまま始発まで飲もうか。始発まであと30分もあるの?39歳の身体にとっては始発までの30分って4時間くらいない?
悔しいことだが店に幼なじみが来たことが嬉しかった。ただもう二度と来るなと思う。
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後日、Kさんとビアガーデンにてビールに夏を終わりを教えに行った夜のこと。そもそも、人生のツケは支払うべきものなのか?という話をした。
40歳目前にして手に入れた幸せもいつまで続くか分からない。
Kさん曰く「人によっては支払い、人によっては支払わない」とのこと。あるドイツ兵は戦車でたくさん街を破壊したが戦争が終わると薬局を開いて安泰の人生を過ごしたらしい。そんならぼくだって生きていると感じる戸惑い、逡巡、罪悪感なんて捨てて過ごしていきたいと願う。
人生とはなにか分からなくなったら、50万くらいのオーディオ機器にお金使って好きな音楽でも聴きながら漫画読めばいいんじゃないかな。
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なにを書こうとしてたのか忘れてしまったので今回はここまで。